三宅島の旅

三宅島
島の全域が富士箱根伊豆国立公園となっている。
行政区画は島全体が東京都三宅村に属する。
東京都道212号三宅循環線(一周道路約30㎞)

三宅島は、東日本火山帯の火山フロント上にある。
主に黒っぽい溶岩でできた玄武岩質・安山岩質の火山島。
三宅島では、11世紀以降少なくても15回の噴火があった。
近年には4回(1942年、1962年、1962年、2000年)の噴火活動が起きた。
2000年の噴火では全島民(約4000人)が約4年半、島外で避難生活をした。
2022年7月1日現在、人口2,337人、 1,528世帯

三宅島雄山噴火口 アジア航測株式会社HPより
直径約1.6㎞、深さ約500mのカルデラ
三宅島観光地地図

7月14日(木曜)
☆1.錆ヶ浜港・阿古漁港 ☆2.コスモレンタカー ☆3.立根橋公園・御蔵島展望所
☆4.粟辺の溶岩流(薄木溶岩) ☆5.富賀浜 ☆6.新澪池公園・新鼻新山
☆7.迷子椎 ☆8.大路池 ☆9.アカコッコ館 ☆10.七島展望台
☆11.三宅村村営牧場跡 ☆12.大路池展望台 ☆13.三宅高等学校・八重間マール
☆14.焼肉京ちゃん ☆15.長太郎池 ☆16.沖原海岸 ☆17.サタドー岬灯台 
☆18.三七山展望台・ひょうたん山 ☆19.赤場暁 ☆20.椎取神社 
☆21.釜の尻海岸 ☆22.焼場(湯舟神社)☆23.旧島役場・御笏神社 
☆24.赤砂利公園 ☆25.伊豆岬 ☆26.為朝の袂石 ☆27.鉄砲場
☆28.コシキの穴 ☆29.ヤマノベ旅館 ☆30.ふるさとの湯 ☆31.メガネ岩
☆32.今崎海岸☆33.ヤマノベ旅館
7月15日(金曜)
☆34.ヤマノベ旅館 ☆35.火山体験歩道 ☆36.三宅島酒造 
☆37.椎取神社 ☆38.物見処(もんど)遺跡・積石塚群 ☆39.生島新五郎の墓 ☆40.鉄砲場 ☆41.ふるさと味覚館 ☆42.三宅島郷土資料館 
☆43.ふるさとの湯 ☆44.コスモレンタカー ☆45.ヤマノベ旅館


7月14日(木曜)
☆1.錆ヶ浜港・阿古漁港
東海汽船 橘丸から  漁船 04:47
三宅島・錆ヶ浜港・阿古漁港付近
三宅島・錆ヶ浜港・阿古漁港付近 04:47
三本岩・大野原島(三本嶽)無人島 04:47
三宅島西沖合10㎞にある岩島(大小10島余の岩礁)
子安根(標高114m)、エビ根(標高61m)、大根(標高33m)の3つの岩礁のほか、
間角根(標高14m)、鋸根、青根、文蔵根、間の根、カサゴ根、平根などの岩礁で構成
下船待機 4:48
下船待機 4:48
橘丸 客員出入口 4:49
三宅島・錆ヶ浜港 4:54
竹芝桟橋22:30ー(東海汽船・橘丸)ー05:00三宅島・錆ヶ浜港
三宅島・錆ヶ浜港  下船 4:55
三宅島・錆ヶ浜港  4:55
三宅島・錆ヶ浜港  4:56
この後、橘丸は八丈島へ出港
錆ヶ浜(さびがはま)港  4:57
「錆ヶ浜」の由来(差出神社の説明板による)
神社には剣の神が祀られている。
剣の神は、物忌奈命の弟神で大蛇退治の際に使用した刀が
今も富賀神社に伝わる「蛇切りの太刀」であるといわれている。
このあたりを「錆ヶ浜」というのは、この刀の錆を落としたからであるともいわれている。

一説に、この神社はヤマブキ沢から流出した細長い溶岩流の上にあり、
その周辺の地に「上サビ」「中サビ」「下サビ」等の地名が残っている。
「サビ」の意味は溶岩流の鉄錆色に由来し、
「剣」とは細長い溶岩流自体のことであるともいわれている。

三宅島各地区の祭りの絵
伊豆地区・富賀神社の巡り神輿
東京都指定無形文化財
坪田地区・富賀神社御祭  4:58
東海汽船(株) 錆ケ浜待合所へ
錆ケ浜港 東海汽船・橘丸
阿古地区地図
三宅島観光復興モニュメント「シンビオシス」 4:59
阿古漁港船客待合所・三宅島観光協会
いきいきお魚センター  開店時間 10:00~15:00
漁協直営の鮮魚販売施設
店内には名物のくさや干物、乾物、アシタバ塩など、島で作られたみやげものが並ぶ。
獲れたてのキンメダイやサザエ、イセエビなども販売している。
コスモレンタカーの送迎車  5:00
「阿古漁港船客待合所」と「いきいきお魚センター」
阿古漁港船客待合所・三宅島観光協会

☆2.コスモレンタカー

コスモレンタカー・コスモ石油 三宅島SS(七島商事) 坪田地区  5:16
三宅島空港の南側沖原海岸近くの都道212号線沿いにある。
坪田地区地図
コスモレンタカー・コスモ石油 三宅島SS 坪田地区  5:16
コスモレンタカー・コスモ石油 三宅島SS 坪田地区
コスモレンタカー・コスモ石油 三宅島SS 坪田地区
コスモレンタカー・コスモ石油 三宅島SS前の焼肉「京ちゃん」坪田地区 5:16
コスモレンタカー・コスモ石油 三宅島SS 坪田地区
コスモレンタカー手続き中  5:18
レンタカー(軽自動車)2日間で13,400円
コスモ石油 三宅島SS店内

☆3.立根橋公園
立根橋公園   5:30
御蔵島展望所
上半分雲に隠れた御蔵島(標高851m)
三宅島から約18㎞に位置する
御蔵島説明板(立根橋公園にて)
粟辺・新澪池跡・立根橋公園・大路池周辺地図
立根橋公園にて朝食
立根橋公園にて朝食
立根橋公園にて朝食  5:38
立根の仮橋 説明板
平成12年(2000年)の噴火災害により立根橋が崩壊したので、
平成13年6月に仮橋を設置した。
立根の仮橋展望台 平成13年6月に仮橋を設置
立根橋  6:07
立根橋展望台からの展望
立根の仮橋展望台 
仮橋をモニュメントとして残した。
たつねはし・立根橋  6:11

☆4.粟辺の溶岩流
粟辺の溶岩流(薄木溶岩流)と三本嶽  6:30
1983年の噴火時に二男山から海まで流れ出た溶岩流
粟辺の溶岩流(薄木溶岩流と三本嶽
粟辺の溶岩流(薄木溶岩流)
粟辺の溶岩流(薄木溶岩流)
粟辺の溶岩流(薄木溶岩流)12秒
粟辺の溶岩流(薄木溶岩流)
粟辺の溶岩流(薄木溶岩流)
粟辺の溶岩流(薄木溶岩流)  6:32
粟辺の溶岩流(薄木溶岩流)  6:33
海まで流れ着いた1983年の溶岩流
ハマゴウ(浜栲)クマツヅラ科ハマゴウ属  6:35
ハマゴウ(浜栲)
粟辺の三角点 建設省国土地理院
ハマユウ(浜木綿)・ハマオモト ヒガンバナ科
粟辺の薄木溶岩流 軽自動車(レンタカー) 6:37
新鼻新山(にっぱなしんざん)  6:38
1983年の噴火時の海底爆発により一夜でできた噴石丘
粟辺の薄木溶岩流 6:39

☆5.富賀浜(とがはま)
富賀浜 ハマガンゾウ 6:44
ノカンゾウとの違いは葉が光沢のある濃緑色で厚く常緑性である。
ハマガンゾウ 6:44
ハマガンゾウ
ハマガンゾウ
富賀浜 磯場案内図  6:45
富賀浜から三本嶽を望む  6:46

☆6.新澪池(しんみょういけ)園地
新澪池バス停  6:55
1日5便(8:08, 11:23, 12:43, 16:43, 18:13)
粟辺・新澪池跡・立根橋公園・大路池周辺地図
新澪池跡入口 駐車場  6:55
新澪池跡へ
神秘の湖・新澪の面影
1983年の水蒸気爆発で消滅した
富士箱根伊豆国立公園 新澪池園地
神秘の湖・新澪の面影
1983年の水蒸気爆発で消滅した
 新澪池跡 説明板
1763年の噴火により形成された火口湖であったが、
1983年の水蒸気爆発で一瞬に消滅した。
噴火前には湖水の色が1日に七色に変化すると言われていた。
ジオスポット 新澪池跡(しんみょういけあと)と新鼻新山(にっぱなしんざん)
新澪池跡  6:58
新澪池跡 ビューポイント    6:59
新澪池跡    7:00
新澪池跡
新澪池跡   7:01
80m下に湖底があった
新澪池跡 ビューポイント    7:02
新鼻新山(にっぱなしんざん)  7:15
新鼻新山(にっぱなしんざん)  7:16
1983年噴火時に、海底爆発により1夜でできた噴石丘
新澪池跡ビューポイントから海岸方向を望む  7:16

☆7.迷子椎(まいごじい)
迷子椎   7:30
三宅村文化財(天然記念物)
迷子椎、別名「よどり木」、三宅島の御神木
スダジイ(ブナ科)樹齢約500~600年、幹回り7.89m
迷子椎  7:32
迷子椎
迷子椎 説明板
密林だった昔、迷子になってもこの大樹を目指して助かると言われている。
迷子椎 幹回り7.89m
迷子椎
迷子椎から大路池へ続く道
迷子椎から大路池へ続く道  7:34
ヤブミョウガ ツユクサ科
ヤブミョウガ ツユクサ科

☆8.大路池(たいろいけ)園地
大路池園地    7:40
太宰治 大路池に憩う
大路池南側桟橋      7:41
大路池南側桟橋
大路池
大路池
大路池    7:44
周囲は森林に覆われている。三宅村の簡易水道の水源
2000年以上前の水蒸気爆発で形成された火口湖
大路池にて記念撮影  7:45
大路池にて記念撮影
大路池 湖畔
大路池 説明板
三宅村の簡易水道の水源
大路池自然案内図
ガクアジサイ
三宅島で多く見られる


大路藻(たいろも)
三宅村文化財(天然記念物)
大路藻  8:00


大路池北側桟橋から見た大路池 8:00
大路池北側桟橋にて記念撮影 8:03
大路池北側桟橋に着いた 8:07
大路池北側桟橋にて記念撮影
大路池北側桟橋にて記念撮影 8:08
こんな道を通って大路池南側桟橋から大路池北側桟橋に行った 8:18

☆9.アカコッコ館
アカコッコ館駐車場 8:58
三宅島野鳥公園・アカコッコ館 8:58
国の天然記念物 アカコッコ
伊豆諸島とトカラ列島でのみ繁殖が確認されている。
三宅島自然ふれあいセンター・アカコッコ館へ 8:59
日本野鳥の会のレンジャーが常駐している。
アカコッコ(オス)  9:03
黒い頭部、黄色の愛リング、黄色のくちばし、胸から腹は濃いオレンジ色、背中は茶色
「島赤腹」、「あかっぱら」ともいう。
アカコッコ(スズメ目ツグミ科ツグミ属)
国の天然記念物、絶滅危惧種ⅠB類、日本固有種

ネズミ駆除に天敵としてニホンイタチを使ったがネズミも爬虫類も鳥類も激減した。
日本特産種で国の天然記念物に指定されているアカコッコがほとんど見られなくなった。

アカコッコ館展示説明板
火山島三宅島
火山島三宅島
火山島三宅島
火山島三宅島
火山島三宅島
火山島三宅島
火山島三宅島
火山島三宅島
カンムラウミスズメ
カンムラウミスズメ    9:49
アカコッコ館
バードウォッチングポイント 伊豆岬
バードウォッチングポイント 伊豆岬
大路池の野鳥
アカコッコ館 三宅島ジオラマ  9:50
アカコッコ館 三宅島ジオラマ
アカコッコ館 三宅島ジオラマ
大路池の野鳥
大路池の魅力
大路池の魅力
大路池の魅力
アカコッコ     9:52
アカコッコ
アカコッコ
大路池
アカコッコ館  9:56
アカコッコ館・視聴覚棟及びトイレ
アカコッコ館  9:56
スダジイの大木
アカコッコを探そう
アカコッコを探そう
アカコッコの保護活動
イタチのよる捕食、噴火の影響
1980年代初頭、ネズミ駆除のために持ち込まれた
雌雄のニホンイタチによって大きく生息数を減らした。

利島にはネズミ駆除の功績による「イタチの記念碑」がある。
利島には、オスのニホンイタチだけが計画的に持ち込まれた。

アカコッコの保護活動
アカコッコの保護活動
人間がイタチを入れたことによりアカコッコの繁殖成功率が
80%から7%に落ちるなど、個体数を大きく減らす要因になった。
また、在来の爬虫類であるオカダトカゲがほぼ絶滅した。
虫などの生き物が減少したのでヒキガエルの生存にも影響を与えている。
アカコッコの保護活動
三宅島の自然を脅かす生き物たち
大路池のほとりの森に1993年に開園した。
玄関横のスダジイの大木

☆10.七島展望台
七島展望台  10:34
ジオスポット 七島展望台
阿古地区地図
村道雄山線にて島展望台に行った。途中道路脇に溶岩樹形が見られる。
軽自動車は4人の大人が乗っていたので喘ぎながら登った。
七島展望台 1983年の噴石丘  10:34
七島展望台 1983年の溶岩流
七島展望台 
雨天で富士山や八丈島が見えない。
七島展望台
七島展望台 1983年の噴石丘
七島展望台 1983年の噴石丘  10:35
火山礫地に生えたオンタデ
七島展望台にて  10:35
七島展望台にて  10:36
七島展望台からの展望
七島展望台からの展望
七島展望台からの展望
七島展望台  10:36

七島展望台

☆11.三宅村営牧場跡の青いサイロ
三宅村営牧場跡の青いサイロ  10:41
サイロに「椎の木ランド」の文字も見える。
三宅村営牧場跡(写真はインターネットよりダウンロードした)
2000年の噴火で壊滅した中腹に広がる三宅村村営牧場跡。
七島展望台へ行く道の分岐点に、サビた鉄骨の残骸を残すレストハウス跡があった。

昔の三宅島では牧畜が盛んだった。明治43年に始まったバター製造が成功し、
大正8年には三宅島畜牛畜産組合が発足して酪農は島の基幹産業になった。
その後、離島の不利な条件によって三宅島の酪農業は衰退したが、
1983年の雄山噴火後に、広大な村営牧場に観光施設としてのふれあい牧場を開設した。
東京都内の酪農家が生産した乳用雌子牛を育成する受託事業や
村有牛など約100頭を飼育していた。
2000年の雄山噴火によって牧場施設は壊滅して三宅村営牧場は閉園した。

現在、火山ガス濃度や気象観測のため気象庁の「レストハウス観測点」が設けられている。

☆12.大路池展望台
坪田林道地図
大路池展望台から坪田林道にて三宅高等学校周辺まで下りた。
大路池展望台  10:50
雨で大路池は見られなかった。
大路池展望台
大路池展望台  10:50 
狭い道(坪田林道)に駐車して見学

☆13.八重間マール(火口)
ジオスポット 八重間マール(火口)  11:02
東京都立三宅高等学校
三宅高等学校が八重間マールに建っている
東京都立三宅高等学校  11:03
東京都立三宅高等学校
東京都立三宅高等学校・八重間マール
東京都立三宅高等学校・八重間マール
東京都立三宅高等学校・八重間マール  11:04

☆14.焼肉「京ちゃん」
居酒屋「島人」 昼食に予約が必要、残念!  11:17

焼肉「京ちゃん」にて昼食  11:26
韓国人の女将が経営する焼肉店。
飛行場の南側、コスモレンタカーの前にある。
デュランタ(ハリマツリ) クマツヅラ科
デュランタ(ハリマツリ) クマツヅラ科
焼肉「京ちゃん」
焼肉「京ちゃん」店内  11:28
焼肉「京ちゃん」店内
三宅島の焼酎「雄山一」
焼肉定食を注文した  11:41
焼肉定食
焼肉定食 1,850円  11:44

☆15.長太郎池
長太郎池  12:21
2千年=3千年前の噴火で流れ出た溶岩が海を囲んでできた潮だまり(タイドプール。
たくさんの種類の魚が泳いでいる。
坪田地区地図
長太郎池
長太郎池  12:22
長太郎池
長太郎池  12:27
長太郎池 三宅島観光協会HPより
海水浴やシュノーケリングでも様々な生き物を見る事ができる。

☆16.沖原海岸
ジオスポット 沖原海岸  12:38
2500年以上前の玄武岩の溶岩流でできた海岸。
この海岸から弥生時代中期の住居跡や土器類か見つかっている。
大里および大里東遺跡と呼ばれている。
沖原海岸
玄武岩の溶岩流で形成された海岸。ウミガメウォッチングができる。
沖原海岸
沖原海岸
沖原海岸 ハマカンゾウ
沖原海岸
沖原海岸  12:40

☆17.サタドー岬
ジオスポット サタドー岬  12:54
断崖絶壁の絶景と溶岩流が波に削られた雄大な火山景観。
「サダドー」の語源はヒンディー語で「地獄」という意味と
見通しの良い岬なので「便りや知ら」を意味する「沙汰」からきているという説がある。
サタドー岬・三七山周辺地図
サタドー岬灯台  12:56
サタドー岬
サタドー岬 ハマユウ
サタドー岬灯台  12:57
サタドー岬の断崖
1962年8月25日、新溶岩で海水が熱せられ生じた水蒸気の白煙とサタドー岬灯台
気象庁観測部報告書より
サタドー岬の断崖
高さ約20~30mの断崖絶壁、柱状節理スポット
サタドー岬  12:58
ハマガンゾウ
ハマガンゾウ
サタドー岬灯台
サタドー岬にて  12:59
サタドー岬の断崖絶壁
サタドー岬にて記念撮影  13:00
クサトベラ クサトベラ科
ハマユウ
サタドー岬灯台  13:02
サタドー岬灯台
廃屋
サタドー岬灯台  13:02

☆18.三七山(さんしちやま)とひょうたん山
ジオスポット 三七山  13:09
1962年噴火でできたスコリア丘・噴石丘。
スコリア丘:火口から放出されるガスが抜けた穴が多い軽石のうち
暗黒色のものが火口周辺に降り積もった丘
サタドー岬・三七山周辺地図
三七山  13:09
1962年(昭和37年)8月24日の噴火でできたスコリア丘・噴石丘
1962年三宅島噴火地帯要図 気象庁観測部報告書より
三七山
三七山駐車場
三七山駐車場
火山弾  13:09
1962年の溶岩流
ひょうたん山  13:10
1940年(昭和15年)の噴火で海中から誕生した山。
「ひょうたん山」というからには山が2つあったわけだが、
侵食によって今は1つの山しか残っていない。
ひょうたん山と三七山  13:10

☆19.赤場暁(あかばきょう)
ジオスポット 赤場暁  13:18
溶岩と泥流が流れた大地と植生回復の現場
加藤画伯の絵「赤場暁」
この絵にある赤い海蝕崖が、目の前に見えています。
1940年(昭和15年)と1962年(昭和37年)、22年の間隔をおいて、
連続してこの付近で山腹割れ目噴火が起きた。
2回の噴火で山腹を流れ下った溶岩は、正面の崖の右手に見える地獄谷から
ここ赤場暁湾に流れ込み、500m四方に及ぶ広大な溶岩台地、赤場暁を作った。
加藤画伯の絵は、
噴火前の「天然の良港であった赤場暁湾」の光景を想像させてくれる貴重な資料である。
当時の道はこの崖の上部を通っていた。
現在の都道はこの赤場暁を直線的に横断しているが、2000(平成12)年噴火以降、
流れ下ってくる土石流を避けるため路面をかさ上げし、
地獄谷からの流路溝を橋で越えるようにしている。

[ 植生の回復と遷移 ]
赤場暁は、溶岩流に覆われているため長く植物の進出を阻んでいた。
ところが2000(平成12)年噴火で、この一帯は10cm以上の火山灰が降りつもり、
度重なる火山泥流や土石流が溶岩の表面を覆った。
植物にとって大切な保水力やミネラル分が供給されないため、
イタドリやススキなどの草本類とともに、
クロマツ、オオバヤシャブシ等の樹木の進出が一気に進んでいる。

☆20.椎取神社(しいとりじんじゃ) 
椎取神社  13:22 
2022年7月撮影 植生が回復してきている。
椎取神社周辺地図
椎取神社と火山性ガスで枯死した樹木((枯死木)  三宅島観光協会HPより
2000年噴火の泥流で埋まってしまったが椎取神社は2008年に再建した。
三宅島椎取神社の樹叢と溶岩流
植生の回復 ボタンボウフウ(セリ科) 13:36


☆21.釜の尻海岸(かまのしりかいがん)
ジオスポット 釜の尻海岸  13:36
釜の尻海岸 カンラン石
釜の尻海岸  13:37
釜の尻海岸  黒い砂利浜
釜の尻海岸
釜の尻海岸  13:41
カンラン石を探している。
釜の尻海岸  13:42
テングサなどの海藻が豊かに育っている。
テングサを拾って海水で洗って食べたらとても美味しかった。

☆22.焼場(やけば)
ジオスポット 焼場  13:54
三宅島史によれば、
「噴火は、明治7年(1874年)7月3日正午頃より始まり、
雄山西北の中腹より大小の噴石を飛ばした。
流出した溶岩により東郷集落の30軒余は埋没消失した。
翌4日は、坪田村のほうへ焼広がり、5日は少し静まったが噴火は続いた。
7日北東風晴れ、午前10時より雨、噴火は穏やかになり一同喜ぶ。
流人の死者1名」とある。
このときの溶岩流が流れ下った一帯を焼場(やけば)と呼んでいる。
噴火から140年を経てすっかり緑が回復しているが、
よく観察すると松やヤマザクラ、オオバヤシャブシの幼樹が多いのに気がつく。
海岸では、この溶岩流が観察でき、これを掘削して、湯の浜漁港が作られた。
このとき流出した溶岩の中には、大きな灰長石(かいちょうせき)の結晶が目立つ。

火口列と溶岩流の分布
明治7年(1874年)の溶岩流が流れ下った一帯を焼場(やけば)と呼んでいる。
焼場  13:54
焼場周辺
焼場周辺
焼場周辺  13:54

☆23.島役所跡と御笏神社(おしゃくじんじゃ)
三宅島史跡案内板  14:00
神着地区地図
島役所跡説明板
島役所跡 三宅島唯一の茅葺家屋  
材質はすべて椎の木が使われている。「カンナ」が全く使われて いない建築様式で、
主として「手斧」で仕上げられた貴重な建築物として東京都の文化財に指定されている。
島役所跡  14:04
現在も神官で地役人の壬生氏の子孫である壬生明彦氏が住んでいる。
島役所跡 説明板
篤姫ゆかりの蘇鉄 樹齢約150年
イブキ・柏槙(カイズカイブキ) ヒノキ科ビャクシン属
樹齢約470年
柏槙(びゃくしん)
柏槙 説明板
島役所跡の庭・御笏神社の参道
御笏神社の鳥居  14:05
ここから島役所跡、御笏神社へと参道が続く
島役所跡周辺
島役所跡周辺  14:05
御笏神社 説明板  14:08
御笏神社 参道
御笏神社(おしゃくじんじゃ)  14:09
御笏神社 境内
御笏神社 本殿・社務所・講堂寄進者石碑
シマオオタニワタリ
シダ植物門チャセンシダ科チャセンシダ属
御笏神社  14:10
島役所跡・御笏神社 駐車場  14:12

☆24.赤じゃり公園
赤じゃり公園 説明板  14:16
このエリア・澪が平は、赤いスコヤが特徴のため赤じゃりと呼ばれている。
赤じゃり
大久保浜・大久保港  14:16
三宅島唯一の火力発電所がある
大久保浜
この海食崖は高さ約60m以上ある。
大久保浜・大久保港
晴れていれば富士山や伊豆諸島が見えたはず。
赤じゃり公園  14:23
赤じゃり公園
赤じゃり    14:33
山側にある丘は「澪が平スコリア(発泡した軽石)」といい、
東側が崩れて赤く焼けた火山の断面が見えたことから「赤じゃり」と呼んだ。
溶岩中の鉄分が高温下で酸化したので赤い。

☆25.伊豆岬(いずみさき)
ジオスポット 伊豆岬  14:24
伊豆岬周辺地図
伊豆岬灯台 説明板
伊豆岬灯台  14:24
明治42年に建造された四角の純白のランプ式無人灯台
伊豆岬灯台  14:33
伊豆岬 沖合に三本嶽が見える
伊豆岬
伊豆岬灯台
伊豆岬
伊豆岬
伊豆岬展望台 14:37
伊豆岬灯台
伊豆岬灯台用太陽電池
トイレ、休憩所の施設  14:43

☆26.為朝の袂石(ためとものたもといし)
為朝の袂石(たもといし)由来 説明板  14:55
為朝の袂石と積石
為朝の袂石(たもといし)と積石
源為朝が床几(腰掛)にするために常に懐に入れて持ち歩いていたという。
為朝の袂石(たもといし) 14:56
為朝の袂石(たもといし)
為朝の袂石(たもといし)
あしたばの碑
「我なくも 行く末まもれ あした草 はもする人のあらんかぎりは」 為朝
昭和53年夏 明日葉研究家 山田和快建立
「為朝の袂石」も「あしたばの碑」の真偽は問わない。
下山観音  15:01

☆27.鉄砲場(てっぽうば)
鉄砲場停留所  15:07
溶岩流に埋まった自動車
周囲を捜し回ったが今回は草が生い茂り見つけられなかった。
翌日、再度捜して見つけた。
阿古地区を望む  15:12

☆28.甑の穴(こしきのあな)
甑の穴へ  15:26
1643年(寛永20年)の噴火口
甑の穴まで徒歩で15分かかる。今回は見送り。
日本山岳会・高尾の森づくりの会により、遊歩道や展望ベンチが整備されている。

南戸林道の「コシキの穴入口」付近から澤を下るとコシキの穴に行けると思ったが、
草に覆われ噴火口に到達できなかった。
「コシキの穴入口」を捜して南戸林道の鉄塔のあるところまで行った。
阿古地区地図

☆29.やまのべ旅館
やまのべ旅館(山辺旅館・ヤマノベ旅館) 15:58
やまのべ旅館 駐車場(6台分)
やまのべ旅館入口 細い道
やまのべ旅館玄関  16:01
やまのべ旅館 創業昭和25年
やまのべ旅館・「CAFEノン・ノ」
三宅島 山辺
やまのべ旅館玄関 表札:田中康棋
やまのべ旅館 田中夫妻
主人:田中康棋 女将:田中悠紀子
和室
やまのべ旅館の女将  16:04
東京都民割引手続き  16:07

☆30.ふるさとの湯
ふるさとの湯  16:37
三宅島で温泉に入れるのは「ふるさとの湯」1か所のみ。
噴火前には3か所あった。源泉かけ流し。
湯口付近で40~41℃。ぬるめなので、のんびりと湯につかった。
醎味(かんみ):塩からい味、無臭

泉源:夕景浜温泉
泉温:40.6℃
泉 質:ナトリウム-塩化物温泉
温泉成分:陽イオン:ナトリウム(Na+)、カリウム(K+)、
マグネシウム(Mg2+)、カルシウム(Ca2+)他
陰イオン:フッ素(F-)、塩素(CI-)、硫酸(SO42-)、炭酸水素(CO32-)他
湧 出 量:610ℓ/min
p H 値:6.5(ガラス電極法)
見た目:僅かに黄色
味 :塩味、僅かに鉄味

ふるさとの湯 施設利用券 前売り券
やまのべ旅館でもらった。
ふるさとの湯周辺 
沖合9.2㎞のところに三本嶽が見える。
ふるさとの湯周辺 今崎海岸方面
ふるさとの湯の前に「ふるさと味覚館」  16:37
ふるさとの湯

☆31.メガネ岩
ジオスポット メガネ岩  18:01
メガネ岩
溶岩流が波で侵食されてできた岩。
かつてはメガネ状であったが1959年の伊勢湾台風で片方が壊れた。
メガネ岩
メガネ岩 崩れた部分


メガネ岩にて記念撮影  18:02
メガネ岩にて記念撮影
ふるさとの湯方面  18:04

☆32.今崎海岸(いまさきかいがん)

ジオスポット 今崎海岸  18:09
1643年(寛永20年)の雄山中腹噴火(現コシキの穴)から
噴出した溶岩は、海岸付近にひろがって「溶岩扇状地」を作った。
溶岩流は、現在ある阿古の集落の平坦面と今崎海岸を形作ったと考えられる。
メガネ岩の溶岩もこの時に流出したものである。
この付近は、約360年を経てなお、荒涼とした溶岩原となっている。
海岸付近は植生も貧弱で、一帯の自然条件の厳しさを示している。

阿古地区地図
今崎海岸沿いいある無人の建物、観音像が立っていた。
今崎海岸から三宅村臨時庁舎方面をみる
約360年を経ても荒涼とした溶岩原
荒涼とした溶岩原 まだ白い枯死木散乱している
荒涼とした溶岩扇状地
約360年を経ても荒涼とした溶岩原
今崎海岸道路  18:10
今崎海岸 白い枯死木散乱している
約360年を経ても荒涼とした溶岩原
今崎海岸の溶岩扇状地 18:10

☆33.やまのべ旅館
やまのべ旅館  18:24
囲炉裏の間  18:24
夕食    19:24
御赦免料理とのこと、海産物が多く美味しかった。
宿泊客6名     19:24
宿泊客6名   19:25
一人旅の宿泊者
夕食 
島の新鮮な素材をたっぷり使ったご赦免料理
夕食(参考) やまのべ旅館HPより
一人旅の宿泊者 と 浴衣を着たTaさん    19:30
三宅島に移住を希望している女性

7月15日(金曜)
☆34.やまのべ旅館
やまのべ旅館の庭  7:00
「CAFEノン・ノ」にて朝食    7:04
「CAFEノン・ノ」にて朝食    7:05
「CAFEノン・ノ」にて朝食
NHKからの感謝状
朝食  「CAFEノン・ノ」にて   7:11
女将    7:44
「CAFEノン・ノ」の庭先    7:44
猫の親子
わんこの島に出演した「らぶちゃん」    7:45 
犬種 ゴールデンリトリバー 約12歳
ロックわんこの島に出演した「らぶちゃん」 
ロックわんこの島に出演した「らぶちゃん」
女将さん
「らぶちゃん」が喜んでMaさんのバックを咬んで離さない  7:47
Maさんのバックが破れた!  7:48
ヤマノベ旅館の「らぶちゃん」と猫  7:49
「らぶちゃん」は何も無かった様な素振りをしている

☆35.火山体験遊歩道
火山体験遊歩道付近・阿古小中学校跡付近の海岸  8:44
夕景浜と今井浜の中間地点
中央下:阿古小中学校跡
海岸堤防  8:44
溶岩流とテトラポット
溶岩流とテトラポット
海岸堤防
火山体験遊歩道駐車場    8:50
正面:阿古中学校跡
溶岩流に埋もれる前の阿古温泉郷
火山体験遊歩道を歩こう  8:52
火山島三宅島の噴火の威力と溶岩流のすさまじさを体験する遊歩道。
1983年噴火時に阿古集落をのみ込んだ溶岩流に設置された木製遊歩道。

火山体験遊歩道入口
火山体験遊歩道
火山体験遊歩道 溶岩流
1983年10月3日15時15分に割れ目噴火が発生し、
約2時間後に溶岩が阿古地区に流れ込んだ。10月4日明け方に噴火は終息した。
ハチジョウイタドリ(タデ科イタドリ属)  8:53
1983年の噴火から約40年経つと溶岩流の上に植物が育ち始めている。
ハチジョウイタドリ(タデ科イタドリ属)
「アア溶岩」
表面は多孔質、内部は均質で緻密な溶岩。
ハワイ語で溶岩を踏んだら「痛い」という意味「アア」から名付けられた。
溶岩のことをハワイで「ラバ」 (lava)という。三宅島はラバだらだだ!
火山体験遊歩道
1983年に発生した噴火により阿古集落をのみ込んだ溶岩流の上に作られた遊歩道
二男山から流れ出した溶岩流
溶岩流の流れた方向
火山体験遊歩道パノラマ写真
火山体験遊歩道休息所
火山体験遊歩道
火山体験遊歩道
火山体験遊歩道休息所にて  8:58
溶岩のメカニズム
二男山から流れ出した溶岩流
「アア溶岩」
ハワイ語で溶岩を踏んだら「痛い」という意味
表面は多孔質、内部は均質で緻密な溶岩。
表面が滑らかな溶岩をハワイ語で「パホイホイ溶岩」という。
溶岩は海岸まで流れた
当時の人々の暮らし
1983年当時、阿古集落には約520世帯1300人が生活していた。
観光や漁業等の中心地で温泉郷でもあった。
二男山から流れ出した溶岩流  9:09
二男山から流れ出した溶岩流
道路際の溶岩流の上にクジラかイルカの骨が置いてあった。  9:10
溶岩流の上にクジラかイルカの骨が置いてあった。
三宅村役場臨時庁舎方面を見る
溶岩流の上に作った道路  9:11
海の方に向かった溶岩流
阿古小学校に迫った溶岩流  9:22
阿古小学校に迫った溶岩流
阿古小学校に迫った溶岩流
阿古小学校に迫った溶岩流  9:24
高さ約10mの溶岩、建物が堤防になった。
校舎の2階部分まで埋まった。
阿古小学校に迫った溶岩流
阿古小学校に迫った溶岩流
阿古小学校に迫った溶岩流

阿古小中学校体育館に迫った溶岩流  9:27
阿古小中学校体育館に迫った溶岩流
阿古小中学校体育館に迫った溶岩流
阿古中学校体育館に迫った溶岩流
1983年当時の阿古中学校
生徒数61名、教職員18名であった。
阿古中学校校舎が溶岩流せき止めたようになった。  9:30
阿古中学校校舎が溶岩流を校舎がせき止めたようになった。
阿古中学校の左隣のプール跡  9:31
1983年夏に建てられたもので1回だけのものとなった。
阿古中学校のプール跡
海岸に迫った溶岩流 沖合に三本嶽が見える  9:44
阿古集落跡
観光と漁業で賑わった阿古温泉郷  9:45

☆36.三宅島酒造株式会社
三宅島酒造株式会社 工場  10:10
三宅島酒造株式会社 工場敷地
三宅島酒造株式会社
三宅島酒造株式会社  10:13
三宅島麦焼酎「雄山一」 1,320円
山本寛斎デザインのご褒美焼酎 3,500円
三宅島麦焼酎「雄山一」
三宅島酒造株式会社 店内
三宅島酒造株式会社 店内
三宅島酒造株式会社 営業社員  10:17
土産に三宅島麦焼酎「雄山一」を購入し送ってもらった。
鉄火場の溶岩に埋もれた自動車の情報を教えてくれた。
三宅島の部落ごとに焼酎の蔵があり、
その部落ごとに甕の形が違い。味にも違いがあった。
山本寛斎デザインのご褒美焼酎 3,500円
三宅島酒造株式会社店内から海を見る
三宅島酒造株式会社 店内
三宅島酒造株式会社 試飲コーナー  10:22
東京 ISLANDs SPIRITS ポスター  10:23

☆37.椎取神社(しいとりじんじゃ)
ジオスポット 椎取神社  10:45
神社を取り囲む原生林はスタジイで覆われていた。
椎取神社
2000年噴火の火山泥流で埋まってしまったが2008年再建した。
椎取神社鳥居の笠木  10:47
2000年噴火の火山泥流で埋もれた旧鳥居
島の北東部に大量の火山灰が降り注ぎ、大雨になると水を含んだ火山灰が斜面を流れ下り、中腹のやまはだを削って土砂を巻き込んで土石流になって山麓を覆った。
鳥居の笠木と神額(名前プレート)はプラスチック製であった。
火山泥流で埋もれた旧椎取神社
屋根近くまで泥流で埋もれた旧椎取神社
火山泥流で埋もれた旧鳥居の笠木  10:49
フェンスの隣は東京都道212号線(三宅島一周道路)がある。
火山泥流と森の変化
椎取神社の森は泥流に埋まり根からの呼吸が困難になり、火山ガスの影響もあって、
数年後には壊滅状態になった。
椎取神社  10:51
2000年噴火の泥流で埋まってしまったが2008年再建した。
樹木は再生してきているが、まだ火山性ガスで枯死した樹木が見られる。
しかしながら、今では森の再生が着々と進んでいる。


☆38.物見処(もれんど)遺跡
物見処(もれんど)遺跡 説明板  11:06
大船渡湾を臨む地に作られた積石遺跡で、
4基の大型積石遺構と多数の積石遺構が確認された。
おおよそ中世から近世にかけての遺跡で、
石に仏教経典の文字を記した礫石経が含まれている。
仏教的な経塚信仰と三宅在住の積石信仰が融合した特殊な施設である。
物見処(もれんど)遺跡
草叢(あしたば)の中に積石遺構がある。
物見処(もれんど)遺跡 説明板
東京都指定埋蔵文化財
いくつかの積石遺構が点在している。  11:09
草叢の中にある積石遺構
積石遺構
物見処(もれんど)遺跡 
物見処(もれんど)遺跡にて記念撮影  11:10
物見処(もれんど)遺跡 
草を掻き分けて奥に進んだ
物見処(もれんど)遺跡 
物見処(もれんど)遺跡  11:12

☆39.生島新五郎の墓
生島新五郎の墓(左正面)  11:18
道路を下った所に東海汽船 伊ヶ谷港がある。
生島新五郎の墓
観光用に改装されている。
生島新五郎の墓  11:23
生島新五郎の墓 説明板
江島事件の犠牲者、1714年三宅島に流罪(43歳)になり、
伊ケ谷で1733年63歳で死去したという説もあるが、
1742年8代将軍吉宗から赦免され江戸にもどり、
1743年小網町で73歳で没したともいう。
江島(絵島)事件について
江戸時代中期に江戸城大奥御年寄の江島が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に
遊興に及んだことが引き金となり、関係者1400名が処罰された綱紀粛正事件
月光院(6代将軍家宣の生母)と天英院(6代将軍家宣の正室)の権力闘争。
生島新五郎の墓  11:24
生島新五郎の墓のある高根山大林寺
高根山大林寺の墓  11:24 

☆40.鉄砲場(てっぽうば)
溶岩に埋もれた自動車のエンジンを捜す  11:43
溶岩に埋もれた自動車のエンジン  11:44
草を除去して撮影した。
案内板に載っていた草が無い時の写真!
Maさんが埋もれた自動車を発見!
草叢の中にある自動車のエンジンを見つけた。
Maさんが発見!  11:45
昨日は見つけられなかった。
溶岩に埋もれた自動車のエンジン
溶岩に埋もれた自動車のエンジン  11:47
三宅島観光協会にお願い!
観光スポット「溶岩に埋もれた自動車」部分だけでも草刈りをしておいてください。

☆41.ふるさと味覚館 宙 (SOLA)
ふるさと味覚 宙(SOLA)  11:54 
「ふるさとの湯」横にある食事処
ふるさと味覚 宙(SOLA)  
ふるさと味覚 宙(SOLA)  11:57
海が一望できる店内で、旬の素材、島の素材を使った食事が楽しめる。
明日葉うどん  12:20
昼食:明日葉うどん 12:20  
明日葉うどん  12:20

☆42.三宅島郷土資料館
三宅村役場臨時庁舎 駐車場13:03
三宅村村役場は、坪田の庁舎周辺が火山ガス高濃度地区のため、
島の西部にある旧阿古小学校校舎を三宅村役場臨時庁舎 三宅村阿古497)としている。
22年経っても臨時庁舎となっている。
三宅村役場臨時庁舎 駐車場
三宅村役場臨時庁舎・三宅島郷土資料館
三宅島郷土資料館  13:50

廃校になった阿古小学校を改修し、平成20年に開館した。
島の文化や自然、歴史についての資料が豊富に揃っている。
また館内には、図書館も併設されており、自習スペースなども完備されている。


☆43.ふるさとの湯
ふるさとの湯 三宅島観光協会HPより
14:00~15:15まで入浴
源泉かけ流し、湯口付近は41℃くらい
醎味( 塩からい味)、無臭
泉源:夕景浜温泉 泉温:40.6℃ 湧出量:610L/min
温泉分析書

☆44.コスモレンタカー
コスモレンタカー返却  16:03
ガソリン代:210円/リットル(三宅島価格)
コスモレンタカー・ガソリンスタンド(七島商事)
コスモレンタカー・ガソリンスタンド(七島商事)  16:03
コスモレンタカー付近
コスモレンタカー・ガソリンスタンド(七島商事)
コスモレンタカー送迎車  16:06
やまのべ旅館まで送ってもらった。

☆45.やまのべ旅館
やまのべ旅館 創業昭和25年 田中夫妻
宿泊料金 1泊2食付き 通常期間料金 2名1室 9,900円
やまのべ旅館 女将 田中悠紀子さん(昭和15年生まれ)
やまのべ旅館で夕食・飲み会  19:29
やまのべ旅館で夕食・飲み会  19:30
夜食に釜めしを注文  21:00

2022年7月16日、三池港から東海汽船橘丸で竹芝桟橋へ


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